(人生が終わるとき)
吾輩は独身である。嫁はまだない・・・・・。
既婚者で子供がいる場合、主に子供のことで様々なイベントがある。七五三や入学式・卒業式、運動会・発表会、そして授業参観など細かいことまで挙げれば枚挙に暇(いとま)がない。年間を通じてカレンダーには、きっと様々なイベントが所狭しと書き尽くされていることであろう。
独身の場合、このようなイベントが全くない。本当にない。カレンダーは基本、真っ白。次の大きなイベントといえば、定年退職なのである!以前、私自身にすごく適切な言葉を見つけた。「私の人生って、消化試合じゃん」
私の身近にいる老人の中には「もう、いつ死んでもいい」あるいは「早く死にたい」と言う人さえも結構いたりする。何故、彼らはこんなことを言うのか。本心なのか。この答えを見つけるには、先ほどの「イベント」が、かなり重要に関わってくると思うのだ。
既婚者は、イベントが盛りだくさんで少々辛いかもしれないが、心は満たされているのではないか。きっと毎日を楽しく過ごしているであろうことが想像に難くない。独身者は一応まだ大きなイベントが残っており、とりあえずそこへ向け頑張れる。しかし老人の場合はどうか。基本的に老人にイベントなどないのではないか。そして、イベントのない人生って、面白いのかということだ。
もちろんイベントなんて自分で作ればいい。その点、一生の趣味がある人を本当に羨ましく思う。趣味はイベントに繋がる。しかし年を重ねた後、新たに趣味を作ることはきっと難しい。当方40を超えたが、ご年配の方には賛同を得られると思うが、新しいことをすることに面倒臭さを感じてしまう。何か新たに挑戦しようとしても、なかなか重い腰が上がらないのだ。そして結局、現状維持という始末。
世の中には、健康寿命という言葉がある。それを真似して今回のものを、「イベント寿命」と呼ぶことにしよう。これは、これから先何もイベントがなく、毎日食べては寝るだけの繰り返しで、人生が完全に消化試合になっている状態を指す。このイベント寿命を迎えてしまうと、人は人生に生き甲斐を感じられなくなり、「もういつ死んでもいい」「早く死にたい」と思うのではないか。そしてこれがある意味、表題の「人生が終わるとき」へと繋がっていく・・・・・
せっかくこの世に生(せい)を受けたのであるから、人生を満喫させたいとは皆が思うこと。独身でも独身なりに楽しめることはきっとある。私は、40にしてバリバリのスポーツカーを購入したし、一年ほど無職になり東北の被災地へ訪問したりした。これは子持ちの方にとっては、なかなかできないことであろう。どうせなら既婚者に「私も独身であんな人生を送ってみたかった」と言わせるくらいの人生にしてみたい。私はできるだけイベントを自ら作り出し、一生を豊かにすることを心掛けるようにしている。
要は、いつまでたっても好奇心と興味を失わないこと。それによって、イベント寿命は延び続けることになる。早々にしてイベント寿命を迎えてしまう人生なんて、なんともったいないことか。
病院の宣伝のようになるかもしれないが、当病院では、工夫を凝らしたイベントが多種用意されている。これは客観的に見ても素晴らしいことだと思う。利用者様には、これに生き甲斐を感じて頂ければと思っている。
このように自分でイベントを作り出せない人は、外部に頼っても良い。ただその行為に至るまで重い腰が上がらないかもしれないが。しかし、その後の人生を満喫することを考えれば、是非とも重い腰を上げ、そしてイベント寿命を延ばして欲しい。
何かを始めるのに、年は関係ない。皆さんに、楽しい老後が待っていることを願うばかりである。

posted by 福岡聖恵病院 at 16:03
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めぐみだより