私の大好きだった祖父が4年前に亡くなりました。祖母は私が産まれる直前で亡くなったため、顔も見た事がありません。その分祖父が私に対し、祖母の分まで愛情を注いでくれました。祖父は幼稚園バスの運転手をしていたので、私は幼い頃から祖父の運転するバスで幼稚園の送迎をしてもらっていました。その時の私はまだ小さく、祖父がいつかいなくなる事など考えたことがありませんでした。
物心がついた頃には、私は部活や勉学に励み祖父の家に行くことが少なくなっていました。よく自宅に祖父から電話がかかってきていましたが、その内容は「何しているの?」「元気ね?」「遊びにこんね。」など些細なことでした。当時の私は、少し面倒くさそうに返事をしていたのを覚えています。
看護学校を卒業した私は、九州から出て東北地方の職場に就職が決まりました。祖父は、何度も私を止めました。「何かあってもすぐに会えないから、近くで就職しなさい。」と。そして福岡から出る前日、祖父に会いに行くと今まで見た事もない顔で涙を流していました。今でも忘れられません。
月日は経ち、4年後スマホに母や妹達から電話やメッセージが入っていました。「おじいちゃんが亡くなった。」と。入院していた事は母から聞いており、福岡に帰った時は顔を見せていました。当時一人暮らしをしていた私は、自分の事で精一杯で「おじいちゃんなら、きっと元気でやっているだろう。大丈夫。」と ばかり思い込んでいました。
突然の祖父の死の知らせに、私は全く理解ができませんでした。すぐに祖父のいる場所に向かいました。久しぶりに見た祖父は酷くやせ細っており、身体はすでに冷たかったです。その後、祖父の家から大量の日記が見つかりました。それは、ほとんどが私に対する内容でした。最後には、私の幼稚園の頃の写真が挟まっていました。その日、私は日が暮れるまで永遠に泣き続けました。
看護師として働いている今、患者さんと接する時、ふと祖父のことを思い出します。思い出さなかった事などありません。あの日「大切な人が、いついなくなるかわからない。」という言葉を痛感したからです。
人は二度死ぬと聞いたことがあります。
一度目は死んだ時
二度目は忘れられた時 です。
皆さんも、私のような辛い経験をされた事があるかと思います。どうか、いなくなってしまった人達の事を忘れないでください。そして、自分も含め家族を大切にし、一日一日を過ごしてほしいと願っています。

posted by 福岡聖恵病院 at 17:52
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めぐみだより